驪州下里の三層石塔

投稿日d 2016-06-23 ヒット数 302

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指定番号宝物 第92号
指定日1963. 1. 21.
時代高麗時代
所在地驪州市 上洞 132

紹介 

元々は下理地域の昔の寺の敷地にあったものを1958年倉里の三階石塔と共に現在の敷地に移したもので、1段の基壇 の上に三階の塔身を上げた姿だ。
基壇は4面の角に柱模様を型取って彫刻され、その上の石の中央に1階の石核を支えるための2段の枠に装飾が彫刻めぐらされた。塔身は石核と屋根石がそれぞれ1つになっており、石核の各面の角毎に浅い柱形態の彫りが彫刻されている。屋根石の底面の下敷は4段で、軒は水平を成してから両側の角で上の方に少し傾いている。全体的に石を組んで積み上げる手法は規則正しく、温和な数理感が感じられて、高麗前期よりは中期に建てられた物の様に見える。塔を移転した当時、1階石核で独特の姿の舎利ホームが発見され興味を引き起こしている。それは即ち、石核の上面の中央に高さ3㎝の薄い帯がかけられてその中に二2個の穴が掘ってあるの、これと接する屋根石の底面にも同様のスタイルでホームに深い穴が掘られている。これは石核の上面にだけ深いホームを置いて舍利を奉っておく一般的な姿ではなくその正反対の形態をしており独特なものである。

 

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