婆娑城
投稿日d 2016-03-22 ヒット数 341
コンテンツ
紹介
婆娑城の頂上を中心に稜線を沿って築城した婆娑城は城壁などが比較的多く残されており、周辺は約943mで城壁の中で一番高い所は6.25m程となるが、低い所は1.4mになる所もあり起状に富んでいる。川西里に面した東門址、金沙面梨捕理に面した南門址にはムンエング(門櫻)を立てた高柱型礎石2基ピョングズ(平柱)礎石が残されており、東門址には甕城門地が残されている。漢江に面して城の一部は川の丘に突出した所で南漢江の上下両方向をひと目に観察する事が出来る戦略的要衝地だ。三国時代に築城され新增東國輿地勝覽には宣祖25年(1592年)に壬辰倭乱が起きた時、柳成龍の発議によって僧軍總攝人義巌が僧軍を動員して積んだ周囲1,100補の城堞(ソングチォブ)を修理したという記録がある。(往復1時間所要)
利用案内
所在地
驪州市 大神面 川西里 山 9
ご利用案内
+82-31-887-3566
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