ヨジュ金栄亀氏の邸宅

投稿日d 2016-03-22 ヒット数 351

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指定番号重要民俗資料 第126号
指定日1984. 1. 10.
時代朝鮮時代 英祖(1753年)
所在地驪州市 大神面 甫通里 190-2

Introduction 

漢江が遠く見える跡地に位置する住宅だ。後方の山を背景にして南前方を正面にしているこの邸宅は1753年(英祖29年)に建築された事が上樑文を通じて判ずる。母屋、居間、小さな居間、倉庫が集まって'ㅁ'の字を成しており、元々の大門は外の行廊屋にあったと言われているが今は外の居間が壊されてしまったため残存されていない。
中庭に通じる中大門の右側に直経の形の居間がおり、大門を通って中庭を立ち入れば奥に内室と板の間を中心とする'ㄷ'字形の母屋が存在する。奥の内室の左側に直角に折れた形で台所がおり、そのなかに食糧貯蔵室、賄い婦達の使う部屋、板の間がある。板の間の右側に板の間、向かいの間、台所があるが、台所の隣には部屋2間と床がある小さな居間が突き出してような構造をしている。小さな居間は多少見られる事があるが客間のこの家屋の大きな特色だと言える。居間は大きい居間、この様な構造は極めてまれてある事から大きい客間板の間、広間・広い板の間を'一'の字に配置し前方に長く縁側を設置した。大きい客間の前には庭先の方へ高床板の間を造った。家の後方の庭には直経形の光彩が長くあたる様配置されている。母屋と板の間、客間、居間、板の間にはそれぞれ分離出来る門をつけて夏には解放し凉しく空間を利用したと伺える。中庭の中央には花壇を作り木を植えて客間と母屋との直接的な視線を阻んでいる。家の前にあった直経の形の表門の内側の角脇にある部屋が今は残されていないとしても財閥の個人の持つ趣向になかった的な優秀な建物であった事が判じる。家屋を建てた時期が比較的明らかで、熟練された大工がすぐれた技法によって建築された格調高い邸宅として学術的な価値を持つ住宅だ。

 

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