四忠書院及び廟庭碑(郷土遺跡第3号)

投稿日d 2016-01-27 ヒット数 364

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紹介 

辛任士禍時の犠牲された金昌集、李頤命、 李健命 、趙泰采の4大臣を祭享するために1725年 ( 英宗1年 ) 果川鷺梁津 ( 今の鷺梁津駅 ) に設立された書院である。かれらは英宗を擁立しようとしたが少論の誣告により皆賜死された人々なのに、英宗は即位すると、かららを配享するために四忠書院の建立を命じた。 しかし、1727年に丁未換局で少論政権が立ち入ると、さらに4大臣を罪人で作って書院も撤廃した。その後、1740年4大臣が更に忠臣で判定されたが書院は直ちに複設されなくて、1756年には複設されて四忠書院と呼ぶようになった。四忠書院は日帝強制占領期間であった1927年春に四忠書院の敷地が鉄道用地に編入されて、当時高陽郡漢芝面普光洞 ( 現在竜山区普光洞 ) に移転して建てたが朝鮮戦争時に破壊されて1968年現在の位置に移転 / 重建した。 

位置 

37, 河南市上山谷洞100-2番地 

http://www.hanam.go.kr/japan/contents.do?key=1236&name=%E9%83%B7%E5%9C%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1