忠穆壇

投稿日d 2015-07-17 ヒット数 362

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所在地

抱川市 蘇屹邑 茂峰1里 33

詳しい説明

死六臣の一人である兪應孚(ユ・ウンブ)将軍の遺墟碑、祭壇、旌閭が立てられている。彼は世宗のとき武科にパスし、武人として平安道節制使を経て、1455年同知中樞院事にまでのぼり詰めた。同年、成三問(ソン・サンムン)、朴彭年(パク・ペンニョン)などど端宗復位を図り、明の使臣を招いた宴で別雲剣となり、世祖を殺害しようと試みたが、金礩(キム・ジル)の裏切りにより拷問の末、その生涯を終えた。彼の死後、肅宗の時代に兵曹判書として追贈され、忠臣として忠穆公の諡号と旌閭が下賜された。1746年(英祖22)に初めて碑を立てて忠穆壇と名付けられ、祀られる人物は兪應孚(ユ・ウンブ)のほか、高宗27年(1890)に漢南・君李於(イ・オ)と楊治(ヤン・チ、号は退隱)先生が追加され、三名が祀られている。

http://www.pcs21.net/japan/sub/pocheonSub.do?key=2079

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