愛蓮亭

投稿日d 2015-04-29 ヒット数 320

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利川市中里川路113番ギル404

新増東国与地勝覧』に収録された任元濬の<愛蓮亭記>によれば、愛蓮亭は成宗5年(1474)利川府使として赴任した李世珤が建てたとなっている。 初めに官衙の東側にある利川客館の南側に小さい東屋があったが、彼が赴任した当時は手入れがされずに傾いていた。 李世珤はこの東屋を修理して前よりもっと大きく建てたが、低くもなく高くもなく、贅沢すぎないと言ったそうである。 東屋の下の方は自然湿地だったが四角形の方沼を掘りハスの花を中央に植えたといわれる。 領議政だった申淑舟に命名を依頼し、愛蓮という名前になった。

中宗4年(1509)頃に府使李純彦が 愛蓮亭を大きく増築した。 新増東国与地勝覧と文集を調べると、金安國、月山大君、徐居正、その他、曺偉、姜景敍、金鎭商達が愛蓮亭を素材にした詩が残っている。 驪州の世宗大王の陵に参拝しての帰り道に、歴代の国王がここを訪問した。 実録には中宗がここで養老宴を施した記録があり、粛宗と英祖、正祖が訪問した記録もある。 また、[與地圖書]によれば、朝鮮時代の安興池は、周囲が1250尺(約388m)で、府の東側5里の地点に安興里堤堰があるとされているが、規模が大きいけれど少し小さい他の堤堰は全く記録されておらず、どの地図を見ても安興池のみ表記されているのには何か特別な理由があったためだと考えざるを得ない。

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