柳自新先生の墓及び神道碑

投稿日d 2015-03-11 ヒット数 448

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指定番号始興市鄕土遺跡、第4号 4
所在地 始興市陵谷洞山32

柳自新(1541~1612)先生は朝鮮中期の文臣で、明宗19年(1564) に進士試に上がった後、金浦縣令、廣州牧使、漢城府判尹、開城留守などを歴任し、三番目の娘が光海君の王妃になる事により文陽府院君に拝されました。墓地は玉女局部形とされ墓地文によると始興地方の八明堂に入ると言われます。
墓の配置は珍しくも柳潜(1509~1576 工曹判書の役職を務めた柳自新の父)、柳德新(1548~1617 敦寧府都正を務めた柳潜の二番目の息子)、リュウヒゲン(1561~1583進士の役職を務めた柳自新の長男)、柳自新本人の墓の順になっています。墓地內に配置されている墓碑などは390余年が経った現在もほとんど摩耗したり毀損されず良い状態を保っており、優れた文化財資料として評価されています。

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