淸州韓氏文翼公派の墓域

投稿日d 2015-02-02 ヒット数 341

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指定番号 京畿道紀念物 第163号
所在地 始興市去毛洞山62-4

韓浚謙(1557~1627)は朝鮮中期に戸曹判書を経て、仁祖の義父として西平府院君と拝されました。この墓地は韓浚謙の墓を中心に彼の息子の韓會一(1589~1642 漢城左尹)の墓と右側には孫の韓以成(1602~1634)の墓、そしてその手前に曾孫の韓斗相(1627~1687敦寧府 判官)の墓が一緒に造成された4代が共に眠る墓地です。 韓浚謙の諡号が文翼であった為、彼の子孫は文翼公派と呼ばれました。
韓浚謙の墓は、妻の黄氏との合葬で石物は墓標ㆍ石灯籠ㆍ床石ㆍ香炉石ㆍ魂遊石各1基、文人石、望柱石、童子石各1対が置かれています。墓標は月頭型の碑身と基台で構成されていて仁祖6年(1628)に建立されました。

http://www.siheung.go.kr/japanese/cheongju-hanssi-munikgongpa-myoyeok/