雪景色も堪能して歴史も勉強する‥京畿北部冬の山城ツアーおすすめスポット5か所
投稿日d 2019-12-10 ヒット数 489
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○ 京畿道、「雪景色」と「歴史」が調和する京畿北部の冬の山城ツアーおすすめスポット5か所を選定
– 漣川郡・瓠蘆古塁城、坡州市・月籠山城、抱川市・半月山城、楊州市・大母山城、高陽市・北漢山城
白く降り積もった雪景色が美しい冬がやって来た。冬は過ぎた一年を送り、新しい一年を迎える季節であり、新しい心構えで新年をスタートしようと思っている旅行者にとっては特に意味深い季節である。
韓国屈指の名山と悠久の歴史が刻まれた遺跡が散在している京畿北部の冬は、雪景色を楽しもうと訪れる大勢の旅行者で長蛇の列を成す。そこで京畿道では、冬にも歴史と自然の趣が同時に堪能できる「京畿北部冬の山城ツアー」おすすめスポット5か所を選定して紹介する。
1. 臨津江の静かな水の流れから感じる高句麗の気迫 – 漣川郡・瓠蘆古塁城(史跡第467号)
堂浦城や隠垈里城と共に漣川郡の高句麗三大城の一つである「瓠蘆古塁城」は、長南面元堂里臨津江沿いにある三角形の形をした平地にある城跡。4世紀頃、百済と新羅が臨津江を境に覇権をめぐって争った当時、南進政策を繰り広げていた高句麗によって初めて建立されたと推定される。実際に軒丸瓦や硯、金銅仏など高句麗時代の遺物が多数確認されている。
城壁の下を流れる川は水深が浅く、渇水期には歩いて渡ることもできる。それで戦争によって南北に分断される前までは平壌とソウルをつなぐ最適な陸上交通路の一つであった。またここは数十万年の月日をかけて造られた柱状節理の絶景でも有名である。城の左右には高さ20mに達する絶壁が形成されており、かつて恵まれた自然が創り上げた要塞であったと推測できる。視野の開けた川の風景を背景に思い出に残る記念写真を撮ろう。
近くに瓠蘆古塁の歴史について展示している広報館がある。また周辺の臨津江水系に沿って東側の坡州市・七重城から西側の隠垈里城まで高句麗時代の歴史が満喫できる山城ツアーを楽しむこともおすすめ。
2. 京畿北部のグランド・キャニオン – 坡州市・月籠山城(京畿道記念物第196号)
坡州市にある月籠山の頂上近くに築造された「月籠山城」は実に見晴らしがよく、頂上に登ると臨津江や漢江、坡州平野などが見下ろせるし、天気がいい日には遠く離れた江華島や北漢山、冠岳山一帯まで見ることができ、昔から恵まれた自然の要塞と考えられていた。
「月籠山城」は山の頂上を取り囲むように築かれており、高さ20mにおよぶ自然の岩壁を最大限に利用して築造されているのが特徴。外城の規模だけでも1,300mもある。残念なことに現在は城壁と城門はほとんどその姿は残されていない。2003年の調査当時、百済の遺物と見られる格子目をつけた押型文土器が発見されたことから、百済の漢城時代に造られたものと推定される。百済はこの山城によって高句麗の南下を防ぎ、漢江と臨津江を中国との貿易ルートとして活用して全盛期を謳歌したと考えられる。
ここは登山客の間で「韓国のグランド・キャニオン(Grand Canyon)」と呼ばれている。濃い黄土色の奇岩絶壁が空高くそびえており、その荘厳たる姿がアメリカのグランド・キャニオンと肩を並べるほどの絶景であることから名付けられた。このような異国的な風景だけでなく、周辺の景色も実に美しく、山登りの妙味を楽しむことができる。近くに第8代高麗王顕宗が遼の国との戦争当時に過ごした寺「龍床寺」や清白吏として有名だった白仁傑先生を追慕するために建てられた「龍州書院」などもがあるので足を延ばしてみよう。
3. 弓裔(クンイェ)の最後の夢 – 抱川市・半月山城(史跡第403号)
抱川市の郡内面にある半月山城は、青成山の頂上を取り囲むように築かれた山城で、抱川市内では最も規模の大きい三国時代の山城である。城の形状が半月の形に似ていることから「半月城」と名付けられたと伝えられる。半月山城は鳴声山やヨウコゲ(狐の峠)など抱川市の他の観光スポットと同じく、後三国時代の泰封国の王・弓裔(クンイェ)の伝説でもよく知られている。王建に追われていた弓裔(クンイェ)が、ここで最後の反撃を試みたが敗れたという伝説が言い伝えられている。
弓裔(クンイェ)が築いたという伝説を覆すべく、百済や高句麗、新羅の遺物が大量に発見され、最初の築城時期が三国時代であると推測されるようになった。実際「馬忽受解空口単」と刻まれた瓦の破片がここで発見されたが、この「馬忽」とは、高句麗時代に呼ばれていた抱川市の過去の地名である。
抱川市を鎮護してきた山であるだけに、山城沿いの道からは抱川市内が一望できる。車で山城の入口まで行くこともできるし、初日の出スポットとして人気を集めるようになり、毎年大勢の観光客が訪れる。周辺には守護神が祀られている「エギダンジ」、抱川市の儒学者達の精神が込められている「抱川郷校」、お出かけスポットとして人気のある「青城歴史公園」、抱川市の文化芸術の中心「半月アートホール」などがある。
4. 新羅の三国統一精神を訪ねて – 楊州市・大母山城(史跡第526号)
臨津江と漢江をつなぐ交通路にある「大母山城」は、大母山の頂上を取り囲むように築かれた山城で、一名「楊州山城」とも呼ばれている。築造時期は6世紀末から7世紀初めの三国時代と推定されているが、一部では三国を統一した新羅が、唐の国との戦いで勝利する決定的な役割をしたと言われる所「買肖城」であると推測している。
建城当時の状態がよく保存されており、築城技法や城の構造などが理解できることから重要な学術的価値を持つ遺跡として評価されている。現在残っている城門の形が新羅系の城でよく見られる「懸門式」の形を帯びているところが特に注目すべき点である。一般の城門とは違い、城壁の上部に入口を造り、はしごを上って城内に出入りするよう造られた門である。これを見ても大母山城がどれだけ戦略的に重要な場所であったか理解できる。
楊州市を鎮護する山である仏谷山から弘福山をつなぐ山並みの間にあり、このコースをたどって縦走する登山客も多い。大母山の頂上に登ると仏谷山の素晴らしい景色はもちろん、広々とした白石邑が一望できる。仏谷山の砦や道楽山の砦などとともに、楊州盆地一帯の山城巡りの旅を楽しもう。
5. 中興を夢見た粛宗の首都防衛司令部 – 高陽市・北漢山城(史跡第162号)
京畿道高陽市とソウル市をまたがっている「北漢山城」は、北漢山国立公園の白雲台、萬景台、露積峯など28の大小さまざまな峰が屏風のようにそびえる周囲約13kmにおよぶ大規模な包谷式の山城である。
北漢山は三国時代から朝鮮時代に至るまで漢江流域を守る戦略的要衝であった。百済の蓋鹵王がここに初めて土城を築き、三国統一の基盤を固めた新羅の真興王がここに巡狩碑を立てた。また高麗時代には、崔瑩将軍が中興山城に駐在しながら外国勢力の侵入に防備したという記録も残っている。現在の北漢山城は、朝鮮王の粛宗が約4万人余りの若者と僧侶を動員して改築したものである。それは丙子の乱の屈辱を二度と経験しないようにという王の固い意志の現れであり、今でもここには、事が起こったときに城を守った僧軍らが過ごした西庵寺の址が残っている。
特に三角山と称されていた昔から、白頭山、智異山、金剛山、妙香山と共に韓半島の五岳と呼ばれるほど山の姿が雄壮である。また「屋根のない博物館」と呼ばれるほど文化財や寺院なども多く存在する。中城門、山映楼、訓練都監留営址、重興寺、太古寺など各種文化財や粛宗や英祖が訪ねた「北漢山城行宮址」を巡りながら歴史の息づかいを感じてみるのもいいだろう。そしてかつて山城村で暮らしていた住民の生活ぶりを知ることができる「北漢洞歴史館」まで足を延ばしてみよう。
キム・ヒョウン京畿道平和代弁人は、「山城は、護国精神の歴史的聖地であるとともに、先祖達の息づかいが感じられる暮らしの址である」と説明し、「雪景色と歴史が調和した京畿道北部にある山城を訪ねて、先祖の知恵を感じながら新年の決意と安寧を願い祈る冬の旅をぜひ体験していただきたい。」と語った。