鳥南洞の社稷壇址
投稿日d 2015-02-05 ヒット数 341
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指定番号鄕土遺跡、第15号
所在地 始興市鳥南洞山71
朝鮮時代の安山郡の社稷壇址で、設立時期は安山郡の官衙を安山の木內洞から安山市の秀巖洞に移した1441年以降と見られており、廃止時期は日帝時代の1910年以降と推定されています。正方形の土築壇で一面の長さは13.5m、高さは1.5m程度です。社稷壇の各面は東、西、南、北を指していますが、全体的な方向は約20度程ずれた状態になっています。社稷壇の内部は外部より30~50cm陥没しており、内側には部分的に整然と積まれた石垣が露出していることから土の祭壇が崩れないように幅1mほどを石で固め、その上に土を固めて積んだものと考えられます。社稷壇の各面の中央部に2m幅の凹みがある事から、四方向から頂上部に上がる土でできた階段があったとみられます。
社稷壇の上には雑草が生い茂っており、あちこちで割れた瓦が多量に発見されており、上部に建物があったと推定されます。検出された瓦はほとんどが黄褐色を帯びて強い粘度を持っており、厚さは2cm程度で表面は無柄で裏面は布柄がある朝鮮時代の瓦です。
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