「チャレンジしましょう!夢は叶います!」

投稿日d 2013-05-30 ヒット数 378

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「チャレンジしましょう!夢は叶います!」
(2013.05.14)

アメリカンドリームを叶えた韓国人政治家たち、「希望の京畿フォーラム」で講義
 
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◇ 12日、第274回希望の京畿フォーラムに参加した金文洙京畿道知事が講義者を紹介している ⓒ 京畿Gニュース ユ・ジェフン

「4歳の時母を亡くし僕を捨てた父親を、15歳にアメリカで養子になってから、35年ぶりに再び会いました。腹違いの弟と妹が5人もいて、継母もいました。持っていったお土産を全て捨てて泣きながら帰ってきましたが、よく考えたら自分の血のつながった家族だったので心が痛くなりました。そこで父と継母、弟と妹5人をアメリカに連れてきて、一緒に暮しました」
 
20年後は米国で韓国人大統領が出るという確信を持っているというシン・ホボム(Paul Shin·78)ワシントン州上院副議長。米国で成功した高級政治家として評価されるシン福院長は、15歳の時米国で米国人の養子となった。韓国系米国人としては初の州の上院議員になり、5選を果たした。
 
ワシントン州のシン・ホボム上院福議長の故郷は、京畿道坡州。そんな彼が金文洙京畿道知事と道庁職員たちの前に立った。13日午後、第274回の希望の京畿フォーラムに講演者として、「夢は叶う」というテーマで人生ストーリーを淡々と話した。彼は親を亡くし、餓えに苦しんでいた子どもの時の話から始めた。

「朝鮮戦争の中で餓えに苦しんでましたが、米軍部隊に入って雑な仕事をしながら幼時を過ごしました。その時出会った米軍将校が今の父。15歳になって一緒に米国に渡りましたが、言葉が通じなかったため、学校では入学を拒みました。仕方なく、試験にパスして学業を終え、一生懸命に勉強してワシントン州立大学の東洋歴史学大学院修士・博士号と取得しました」

シン副議長は、米国に来た当時は教師になりたかった。ところが、勉強一筋の彼を、結局政治に導いたことが起こった。当時東洋人が米国でよくあることだった。
 
「白人ではないと店で食べてはいけないというのです。米国人の友だちと一緒に入りましたが、結局自分だけは入れないということです。頭の中では、『どうして?』がぐるぐる回っていました」

米国に来てまもない20代初期の頃だった。東洋人だと差別を受けることが不当なことだと思った。その時から彼は、いずれ米国の政治家いに飛び込み、こうした間違った認識を訂正すると心に決めた。

そうした中、ワシントン州知事とつながり、1993年下院議員に出馬し、当選された。選挙運動に困っていた。1万4千世帯を一々訪ね、住民たちと目を合わせた。最初は警戒していた米国人たちは、「米国人に奉仕するという韓国から来た養子」を注目し始めた。

今後韓国系米国人としては、初めて州の上院議員に当選され、4選連続当選された。「韓国人を代表する政治家になりたかったです。できないとは最初から思いませんでした。どんなところであれ、自分が立っている場所で一生懸命すれば、何でも叶えられます」
 
彼は現在、米韓政治教育奨学財団で理事長として活動している。彼は、「若くて情熱あふれる韓国の学生たちが米国で成功する姿を見たい。私が助けられたみたいに、困難な学生たちを助け、広い米国の地で活躍する韓国人がたくさん増えることを期待している」と話した。
 
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◇ ワシントン州のシン・ホボム上院副議長が、道庁の職員たちの前で講演をしている ⓒ 京畿Gニュース ユ・ジェフン
 
一方、他の講演者として招待されたイム・ヨングン(Jhon Lim·78)前オレゴン州上院議員もやはり計5回当選されたと高い評価を受けている政治家である。故郷は여주で、30歳に米国に渡った。

「赤色の思想を持っているとして、多くの人が虐殺された時がありました。驪州だけで500人余りが殺され、そのうち一人が私の父でした。残った家族もやはり『赤者』というレッテルを貼られ、故郷では何もできませんでした。そのため、米国に渡りました。生き残りのためのやむをえない選択でした」
 
離れる当時、彼は牧師だった。しかし、米国では掃除の仕事から始めた。彼は、「積小成大」という言葉が好きだという。小さいのを積み上げ、大きく成し遂げるという言葉だ。米国で無一文で始めたが、一生懸命暮して、今は韓国人政治家を育てるのに力を尽くしている」
 
イム前議員は、世界韓国人政治家協議会長である。ジョーン・イム奨学会の理事長でもある。オレゴン州の韓国人会長も歴任した。多少遅い時期に米国に来て、言葉の問題でコミュニケーションもままならなかったが、韓国人のために奉仕したかった。能力の有る限り、様々な社会団体活動を繰り広げた。

これに加え、2010年には韓国人で始めて州知事に出馬した。保守的な米国社会で、当選を願うこと自体が話しにならなかった。しかし、彼はチャレンジした。

「よくテレビに顔を見せながら自分を知らせました。レストランに行けば、あっちこっちでざわついたりもしました。結果はよかったです。共和党で7人が出馬しましたが、2位になりました。当選ではありませんが、韓国人としては歴史的な結果でした」

「努力すれば、なんでもできる」という彼の哲学は、米国に渡ってから50年を過ごしながら常に通じた。彼は来年、州知事にもう一度チャレンジする計画。
 
「小学校の同級生のうち4分の3が死にました。80の高齢者が出馬すると笑者になるかも知れませんが、『Challenge(挑戦)』が大事だと思います」
 
ユーモアのある言葉遣いに、絶え間なく笑っている聴衆に、彼は「全ての夢を叶えるわけにはいきません。しかし、夢がなければ何も成し遂げられません」と力強く叫んだ。「Have a dream!」
 
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◇イム・ヨングン前オレゴン州上院議員が講演をしている ⓒ 京畿Gニュース ユ・ジェフン

ⓒ 京畿Gニュース | ノ・ギョンヒ khrohh@kg21.net
 
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