広州、生命の水と高貴な歴史を守り続ける
投稿日d 2013-03-13 ヒット数 492
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広州、生命の水と高貴な歴史を守り続ける
生命と環境、歴史の街
京畿東部
京畿道の中央に位置する広州市(クァンジュシ)は中部高速道路、京釜高速道路、嶺東高速道路が交差する交通の要所である。東側には驪州(ヨジュ)と利川(イチョン)が、西側には城南(ソンナム)が、南側には龍仁市(ヨンインシ)が、北側には漢江(ハンガン)を挟んで南楊州(ナミャンジュ)と楊平郡(ヤンピョングン)、河南市(ハナムシ)が隣接している。中央に川が流れているため、昔から稲作農業が発展し、地理的利点から電気、陶磁器、飲料などを生産する製造メーカーの所在地として脚光を浴びてきた。さらに、南漢山城(ナマンサンソン)や朝鮮時代の白磁陶窯跡などの多くの文化遺跡が残されている。
八堂湖を中心にきれいな水質管理を推進
広州市は1975年、八堂湖(パルタンホ)ができてから現在に至るまで、自然保全圏域(全地域)、八堂湖の上水源水質保全特別対策地域1圏域(99.3%)、開発制限区域(24.2%)、八堂上水源保護区域(19.4%)など、各種規制により都市型の発展が制限されてきた。しかし、慶安川(キョンアンチョン)湿地生態系公園や南漢山城、広州王室陶磁器などの歴史や文化、自然を守り続ける歴史の街として、文化観光都市、広州の独自の色を作り出している。
流域面積が2万3,800㎡に及ぶ八堂湖は、漢江の第一支流である北漢江(プッカンガン)と南漢江(ナムハンガン)が合流する場所で、広州市、南楊州市、楊平郡、河南市に股がっている。湖の周辺に生い茂る古木は一枚の絵を思わせる美しさを演出するほか、八堂湖で採れる淡水魚の辛味鍋の味は贅沢さを極めている。
八堂湖は2,500万の首都圏住民の上水源であり、きれいな水質管理が重要とされている。この八堂湖の水質に大きな影響を及ぼすのが慶安川だ。しかし、慶安川は広州を流れながら随所にある畜舎や工場からの汚水で、深刻な汚染問題を抱えてきた。
◇ 広州に位置する八堂湖は2,500万の首都圏住民の上水源としてきれいな水質管理が重要とされている。京畿道は八堂水質改善本部を置き、様々な水質改善事業を推進している。ⓒ G-LIFE編集部
このため、京畿道は2006年、慶安川の水質改善総合対策を立て、環境基礎施設の拡充と生態系河川の復元、人口湿地の建設など、水質改善事業に努めてきた。同年、社団法人慶安川を守る運動本部が設立され、市民の自発的な参加により、慶安川を葦原と渡り鳥が生息する生態系宝庫として活用していく運動が始まった。これらの取り組みにより、慶安川はBOD(生化学的酸素要求量、水の汚染された程度を表示する指標)測定指数が2006年9月4.6mg/Lから昨年は3.6mg/Lへと改善されるまでとなった。さらに魚や水鳥が生息する親水空間へと大きく変貌した。
現在、慶安川の湿地生態系公園は動・植物にとってはきれいな生息地として、市民にとっては人と自然が共存する環境にやさしい憩いの場として愛用されている。公園には様々な水生植物や、渡り鳥、留鳥が生息しており、鳥類観察や自然学習の場として脚光を浴びている。
◇ 南漢山城は三国時代から韓国の民族史における重要な要衝の地として活用されてきた。京畿道は南漢山城の昔の権威を取り戻すため、南漢山城行宮地域の復元工事を完了させた。ⓒ G-LIFE編集部
高貴な歴史の中心に立つ、南漢山城
南漢山城道立公園は行政区域では、広州市、河南市、城南市に股がっており、城の内部は広州市中部面(チュンブミョン)山城里(サンソンニ)に属している。南漢山城は三国時代から韓国の民族史における要衝の地として活用されてきた。
漢江に並び、三国の覇権を決定づける主要拠点であった南漢山城は、百済が河南慰礼城(ウィレソン)に遷都を決定してから、百済人にとっての聖なる対象であり、崇拝の対象とされてきた。南漢山城内には百済の始祖「温祚(オンジョ)王」を祀った崇烈殿(スンヨルチョン)が置かれている理由もこれに起因している。
朝鮮時代の南漢山城は宣祖から純祖時代まで、国防の砦としてその役割を忠実に果たしてきた。16代国王の仁祖は南漢山城の築城と丙子胡乱の勃発で蒙塵や抗戦という歴史の波をこの場所で乗り越えてきた。当時の築城工事の完成に続き、山城内には行宮をはじめ、人和館(インファグァン)や演武館(ヨンムグァン)などが次々に建設され、数百年の歴史を持つ文化遺産として位置づけられるようになった。しかし、火薬や武器が多いという理由から1907年、日本軍によって灰へと化せられてしまった。大きな損失にも関わらず、南漢山城周辺には未だに多くの文化遺産が残っており、波乱万丈の歴史を伺わせている。
京畿道は南漢山城の昔の権威を取り戻すため、10年以上をかけて南漢山城行宮地域の復元工事を行ない、今年5月、ついに工事を完成させた。2002年上宮(寝殿)の内行殿(ネヘンジョン)、坐勝堂(チャスンダン)、在徳堂(チェドクタン)、行閣(ヘンガク)など72.5間の復元を終わらせ、2004年には左殿26間、2010年には下宮(正殿)の外行殿(ウェヘンジョン)、日長閣(イルチャンガク)、漢南楼(ハンナムヌ)、行閣、統一新羅遺跡地など154間を復元、今年、下宮丹青(タンチョン)や南漢山城の案内展示施設の復元工事を完了させた。
これをきっかけに、南漢山城は世界でも有数の文化財として飛躍するようになった。2010年1月、ユネスコが指定する世界文化遺産暫定リストに登録、昨年2月には文化財庁から国内13ヶ所の世界遺産暫定リストのうちの優先登録の推進対象に指定された。来年1月にはユネスコへの登録申請書が提出される予定にあり、2014年6月に登録有無に対する最終決定が行なわれる。
白磁文化の開花、広州朝鮮白磁陶窯
広州は朝鮮時代、王室磁器を制作する分院官窯があった場所だ。分院とは宮中内で王に進呈する献上品や食事を担当する中央官庁であった司饔院(サオンウォン)の傘下機関である。司饔院の担当業務の一つに、王室用の陶磁器制作があり、分院ではその業務を担当していた。朝鮮時代初期、王室では粉青沙器や白磁を用いていたが、世宗王時代からは白磁の使用が急増し、このような流れに合わせて司饔院の分院が広州に設置されるようになった。
広州に分院が設置された背景には良質な広州土と豊富な薪の存在があった。また、首都漢陽(ハニャン)に近く、漢江を使って白磁を運搬することができるという地理的利点も重なった。これにより、最上級の白磁の制作は広州分院を中心に行なわれるようになった。このような理由から、広州の白磁陶窯は漢江慶安川を挟んでその左右に分布する形となっている。こうして、1884年、分院里官窯体制から民営化へと移り変わるまでの間、広州は王室献上用の白磁の制作を担当してきた韓国唯一の官窯として華やかな白磁文化を花咲かせた。
広州では、白磁の本場、広州の伝統陶磁器を広く知ってもらおうと毎年ユニークなテーマの「広州王室陶磁器祭り」を開催している。昆池岩(コンジアム)に位置する京畿陶器博物館で行なわれるこのお祭りでは「広州白磁コンテスト」の受賞作品を展示する展示会や学術行事、国楽イベントや北青獅子ノルムなどが行なわれる公演・イベント行事、陶磁器づくり、ろくろ体験、竈の火焚き体験などの体験イベント行事が行なわれている。
◇ 広州朝鮮白磁陶窯 ⓒ G-LIFE編集部
異国情緒溢れる退村カフェ街
爽やかな川風を浴びながら楽しむドライブは気分転換に最適だ。さらに美しい風景の中に佇むカフェは異国情緒たっぷりの風情を演出しており、訪れる者を魅了する。退村(テチョン)地域は観光スポットや素敵なカフェが随所に散在しており、恋人たちのデートコースとして脚光を浴びている。
特に、分院里(プノンニ)には八堂湖を挟んだ両側にカフェやレストランが軒を連ねている。焚き火や野外テラスのある「郷土マダン」、古木をアレンジしたカフェ「古木」、中世ヨーロッパ風のインテリアで店内を装飾したレストラン「ジャンヌダルク」などが人気を呼んでいる。
http://gnews.gg.go.kr/news/news_detail.asp?number=201207261339587055C059&s_code=C059
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